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第四話 ドローンと2人のハリウッド女優の意外な関係

2019年03月28日

ドローン工場で働いていたマリリン・モンロー

 

第二次世界大戦末期の1945年の19歳の誕生日を迎えて間もなくのこと、ノーマ・ジーン・モーテンソン(後のマリリン・モンロー)は、ドローン製造工場で働いていた時に陸軍から取材に派遣された報道部員デビッド・コノバー一等兵に見出され、ターゲットドローンのプロペラを手にほほ笑むポートレートを撮影されました。この時の写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことをきっかけににハリウッド女優への道をたどることになったそうです。

19歳の頃雑誌『YANK』に掲載されたもの(Wikipedia) ターゲットドローンのプロペラを持つモンロー

 

 

もう一人は、ドローンの技術の発展に大きく貢献したハリウッド女優のお話です。

1940年、MGMの静止画写真(Wikipedia)

 

ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr、本名:Hedwig Eva Maria Kiesler、1914年11月9日 – 2000年1月19日)は、オーストリア・ウィーン出身の女優です。1930年に女優としてデビューし、1933年の『春の調べ』で映画史上初めての全裸シーンを披露し一世を風靡しました。同年、結婚を理由に映画界から引退しましたが、当時の夫への不満が高まったことから、1937年に夫の元から逃げ出し、密かにパリに転居。そこで彼女はMGMの創始者ルイス・B・メイヤーに出会い、彼の力を借りて1930年代から1950年代までの間、美人ハリウッドスターとして活躍しました。シャルル・ボワイエ、スペンサー・トレイシー、クラーク・ゲーブル、ジェームズ・ステュアート、ヴィクター・マチュアなど有名な俳優との共演経験が多いことでも知られます。

彼女のもう一つの顔は発明家としての顔であり、非常に聡明な女性であり、初期の発明として、交通信号機の改良型と水に溶かして炭酸水を作る錠剤が挙げられます。もっとも錠剤の方は本人も認める失敗作だったようです。

第二次世界大戦が激化していた最中、彼女は海軍の作戦において重要な役割を果たした魚雷の無線誘導システムが、頻繁に枢軸国側の通信妨害を受け、目標を攻撃することに失敗したことを知り、作曲家で友人のジョージ・アンタイルに協力を求めて、妨害の影響を受けないような無線誘導システムを開発しようとしました。最初の夫であるマンドルと結婚していた間に得た無線の知識を元に、ピアノロールの仕組みを参照しながら、魚雷に送る電波の周波数を頻繁に変えれば妨害されにくいと考え、周波数ホッピングシステムの設計案を作成し、1942年8月11日に、特許を取得しています。当時は実装が困難であり、残念ながら軍に採用される事はなかったようですが、20年後のキューバ危機に見直され、改良版が海軍に採用されるようになりました。

彼女の発明は現在でも、周波数ホッピングスペクトラム拡散技術の原理に生かされ、ドローンのフライトに必要なGPS、Wi-Fi、無線LANといった技術に必要不可欠なものとなっています。

2000年に亡くなった後の2014年には「全米発明家殿堂」入りを果たし、オーストリア、ドイツ、スイスなどのドイツ語圏では誕生日である11月9日を「発明家の日」としてその業績が称えられています。